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路地裏の十戒

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自分の意思を曲げてはならない

 自分の内側から湧き出るものに忠実でなければ、自分の持つ才能を100%発揮することはできない。とんでもない発想でも、その可能性を探るよりも実際にやってみた方が早い。その結果で判断する。一度や二度上手く行かなくても続ける。ただし、より情熱を感じることが見つかったとき、今までの積み上げに囚われず、すぐにやめることを辞してはならない。人からどう見られるかについて、考えることは何の価値ももたらさない。人目を気にすることは、自分の可能性を消すための方法である。

 もしもトッシィが、クラウンで生計を立てられるかを考えていたら、路地裏のトッシィは誕生していなかった。

行動を躊躇してはならない

 限られた時間を最大限に活用するためには、すぐに判断できない問いに対して考えることよりも、やってみること。実際にやってみた方が、考えるよりもはるかに速いし、考えても到底たどり着けないことを見出せる。いいことか悪いことか迷った時、その本質はやったものにしか判断できない。常識というふわっとしたものに自分を委ねてはならない。間違いを犯すことを恐れていては、正しい判断ができるようにはならない。二つのうち、一つしか選べない場合は、楽な方を選んではならない。常に自分がより魅力を感じる方が、正しい選択である。

 トッシィがもし最短ルートを考えて行動していたら、今のトッシィになるためには、もう後2年ほどかかっていたと思う。

人に強要してはならない

 いくら自分に人への想いがあれど、自分の考えや行動を人にやらせてはならない。人に対して示し、実際にやってみせるのはいいが、相手にそれをやらせてはならない。やるかどうかは相手の判断に委ねる以外に、方法を考えようとしてはならない。相手のすべてを尊重し、注意をすべて自分に向ける必要がある。

 人と協力して何かを作る時、相手の持ち味を100%出してもらうためには、相手の思うがままに動いてもらうのが一番いい。いいクラウンショーを作るためには、お互いのいいところがにじみ出ていることが重要で、それは、本人にしか分からない部分が多い。

すべての人に対して対等でなければならない

 人は人として生まれながらに平等であるという言葉の通り、先輩、後輩、親、赤ちゃん、犯罪者、思想家、宗教家、実業家、社長。すべての人に対して、優越感も劣等感も抱いてはならない。自分より実力がある人でも、自分の方が優れた分野があり、自分より未熟な人にも、自分にはできないことを成し遂げることがある。ゆえに、人としては等価である。

 トッシィは、トッシィとして行動、パフォーマンスすることは誰にも負けない。チャップリンよりも上手くトッシィを演じることができる。なぜなら、他のすべてはものまねだからである。その逆も然り。

人の意見を否定してはならない

 他人の主張が自分のそれと異なる時、それを実際に試すことをせず、その主張に対して否定的な意見を述べてはならない。自分の意見とは自分の経験からして最善の方法であるのは、相手にとっても同じであり、その人を見下すことなしに、その意見を否定することはできない。相手の意見が明らかに浅はかである場合にも、それを相手が自分で認識するまでは、相手にとって大切な自分の意見であるということを、常に意識する必要がある。

 例えば、自宅に帰る道を選ぶとき、友達が自分とは異なるルートを提案したとする。明らかに自分の方が自宅へ帰る経験が多いが、友達は自分の家へ一人で来た経験はある。このとき、自分のルートが最短であると主張して得られることは、優越感と少しの近道。相手のルートを試してみることによって得られることは、新たなルートの発見の可能性、自分のルートが最適であるかどうかの実験結果、相手の満足感、相手を尊重するトレーニングなどである。一刻を争う時以外は、どちらが得か判断すべきである。

どこにも骨をうずめてはならない

 常に自分の成し遂げたい目標を自分で成し遂げるという信念を持たなければならない。組織、団体、集団に入ることでは、信念を成し遂げることはできない。属するということが信念を成し遂げるために必要な手段であると、常に自分を維持し、どんなにハイレベルな場所であっても、そこに入ること自体を目標にしてはならない。入って何を成し遂げたいのかを常に意識する必要がある。骨をうずめていい場所は自分自身の目標以外にない。

 例えば結婚。現代において離婚が多いことはいいことだと思っている。周りの目に囚われず、自分を生きるための選択だと思うから。結婚することを目標にして結婚した場合、結婚した後の目標を見失う。理想と現実の違いだけが浮き彫りになり、それは耐え難いものであることが多い。自分(たち)の目標を達成するために結婚という手段を選んだ場合、その先の目標を達成することに目がいき、現実に目を向ける割合が減る。

人のことに目を向けてはならない

 人に対して援助、支援、応援を自分の目的なしで施してはならない。常にそれが自分のためであるということを意識しなければならない。人を助けるということの先に、常に自分のやりたいことを見出す必要がある。それがなければ、助けられた人に負い目だけ感じさせてしまって、相手の応援にはならないことを知る必要がある。人が恩を感じ、自分も喜べるような行動を取るべきである。

 経済的・精神的に余裕のない人がボランティア活動をすることは、とても危険である。ボランティアに見返りを求めるものではならないからである。自分の分は確保し、それでも余るものを人に分けてあげることはいいが、自分の身を削ることをしても、相手は心から喜ぶことはできない。災害支援であっても、自分の食べるもの、着るもの、寝泊りの場所などは、自分で用意すべきである。それがない状態でボランティアという大義名分を掲げて行くことは、水のない場所へ水をもらいに行くような行為になる場合がある。

常に自分の心に打ち勝たねばならない

 恐怖を感じたとき、その先には自分の目指すものがあると信じなければならない。挑戦しようと思ったとき、その先には自分のやりたいことがある。挑戦しようと思ったとき、物事への恐怖を感じることができる。恐怖は挑戦しているという証である。恐怖とは、自らが生み出した錯覚である。その恐怖を生み出した自分自身に打ち勝つことが、挑戦するということの本質である。

 初めてクラウンとして路上に出るとき、恐怖を感じた。クラウンショーをするとき、未だに恐怖を感じる。今のトッシィは路上に出ることよりショーをすることの方が未熟であるということである。路上に出る恐怖の先に、言葉にならないほどトッシィの自由度を広げる結果があった。それは、ショーに出る勇気にも代えられるものだった。物理的に命のリスクがある場合を除いて、恐怖とは自分を知る基準としてとらえることができる。

全て疑ってはならない

 どんなことにも、可能性がある。とんでもない発想やできるわけないような案に対して、その中に可能性を見付けられるかどうかは、自分の力量であることを知らなければならない。人の意見に耳を傾け、考えることは、一人ではできないこと。人の言うとおりにしてはならないが、人の意見を無視するということは、浅はかである。

勉強しなければならない。

 知っていれば防げる間違いを犯さないための唯一の方法。すべての物事の判断、成し遂げるための知恵の礎は、知識である。知っているか知らないかに関して、知っているに勝るものはない。人の話でなく、自分の経験に基づく知識は、必ず自分を助けてくれる。