(笑)路地裏総合研究所

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研究理念

混沌とした社会情勢のなか、人が活き活きと生きることを探求しています。

ネガティブが渦巻き、恐怖に縛られ、人が本来の生き方ができにくい世の中で、より良くのびのびと生きて行く方法を模索し、実行します。

路地裏哲学

ゴミを分解し、自然に戻していくバクテリアのように、人間は本来、ネガティブなものをポジティブに変換して行くことが役目ではないかと考えます。現在においては、人間の力が全体的に弱く、ネガティブに支配されている状況に見えますが、人にはネガティブを克服し、ポジティブに変換し、それを広げていくだけの強力な能力を秘めています。一人ひとりが出来事に対して、ポジティブに受け止めて行くことで、世界中がポジティブになっていく。それは、この世の中に生きながらに天国で暮らすような、壮大な幸せを実現する方法であると考えます。

路地裏行動論

多くの宗教や、考え方で共通する、起こることは全て、自分にとって有益なことである。という考え方に基づき、どんなに辛く、苦しいことが起こっても、それによってもたらされる恩恵に目を向け、ポジティブに捉えて行く。すると、次の行動がより積極的になり、その困難を乗り越えることで、まだ見ぬ自分に成長できる。すると、階段を一段登ったように、少し遠くのことが見えて来る。自分の行動の幅が広がる。困難から学んだことを活かせば、前回よりも行動が上手く行く、さらに一段階段を登る。この、ポジティブの無限ループに入ることが出来れば、自分のやりたいことがどんどん叶いだす。周りの人に恵まれ、さらに一人ではできないことができるようになる。階段が二段、三段飛ばしで登れる。すべては、自分のもの毎に対する考え方を変えるだけ。簡単ではないけれど、今日からできることです。

路地裏人間論

人は、人にしか創れない。体も脳も、人からもらったのである。まず人は、それを認識することが大切です。もし自分を自分で作ったものなのであれば、好きなように生かすも殺すも、好きにすればいい。無理して倒れても、危険を冒し怪我をしても、罪を犯しさらし者にされても、無駄に体を遊ばせて無益な時間を過ごしても、自分で作ったものなのだから、好きにすればいい。もし奴隷が欲しければ、自分で人間を作ればいい、その造った人間に、自我を持たさずに作ればいい。そうすれば、全ては自分の想うがままに、奴隷として使うことができます。

それができないのであれば、諦めればいい。自分の体は借りものだと思えばいい。もし魂というものがあるのであれば、それはラジコンのコントローラーの様な物。体や心とは別のもの、ラジコン本体です。それは借りもの。操作するのは自分。巧みに操る凄腕操縦者になるか、下手くそ三流操縦者になるかこそが、自分次第なのです。

人には個体差があります。背が高い個体、軽い個体、高く飛べる個体、頭脳明晰な個体、手や足の欠けた個体、印象の良い個体など。
人には潜在能力があります。人の気持ちが分かる能力、論理的に考えられる能力、物事をクリエイトできる能力、見えないものが見える能力、器用に何でもそれなり出来る能力など。
人には感性があります。温厚な感性、感動しやすい感性、内にこもる感性、外交的な感性、感情的になる感性など。

その組み合わせは、もう、どうしようもないものだと捉えて、その操作をいかにうまく、いかに有効にいかせられるか。そこに100%注力して、自分に与えられた個体の能力を引き出せるか。それが、人として生きるという行動に自分が手出しできる唯一の部分です。

路地裏仕事論

人間の仕事、それは、抽象的に言えば、身に降りかかるネガティブを、ポジティブに変換すること。それだけです。具体的に生活ベースに落として考えると、

仕事とは、自分の能力を最大限に発揮できる事柄で、人の役に立つことです。

何を仕事にするか、ということに関して考えるのではなく、自分には何ができるのかを考え、できることで人の役に立つことが仕事です。事柄の大小なんて、関係ないし、実入りのことも、関係ありません。だから、職業選びに悩む必要もありません。では、なにで仕事を選ぶのか。

それは、自分にできることを考えることと同じです。既存の職種から選び、当てはめるのではなく、自分の内側から職種を作るのです。その作業に取り組みだすと、すぐに、自分のしたいことは何かということを考え始めると思います。自分がしたいと思うことは、自分という個体が得意とすることです。それには鍛錬が必要ですが、必ずその才能が自分に備わっていて、それを開花させるだけのお話です。